康和4年(1102)海上郡高見浦(現在の銚子市高神付近)の海上が荒れ、里人は困窮を極めました。
当時総社だった東大社に朝廷の宣旨が下り、高見浦へ御神幸になり臨時の祭典を執り行ったところ、海上は静まり大漁、陸上は大豊作になったと伝えられ、その日が4月8日であったところから例祭の日と定められています。
康和4年(1102)海上郡高見浦(現在の銚子市高神付近)の海上が荒れ、里人は困窮を極めました。
当時総社だった東大社に朝廷の宣旨が下り、高見浦へ御神幸になり臨時の祭典を執り行ったところ、海上は静まり大漁、陸上は大豊作になったと伝えられ、その日が4月8日であったところから例祭の日と定められています。